ネロリの朝

60代からの暮らしと、朝時間や山をゆっくり綴るブログ。

悲しいのに泣けなかった、あの日

福岡の末妹から、父の仏前にアレンジメントが送られてきました。

昨日、アパシーのことを知った時、人間の心って不思議だなと思うと同時に、ふと父が亡くなった時のことを思い出しました。

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父が亡くなったとき、わたしは泣きませんでした。

悲しくなかったわけではありません。 胸の奥には、重たいものがずっしりと沈んでいるような、そんな感覚がありました。

でも、その悲しみに浸る余裕がなかったのです。

先日も書きましたが、父の死は、ある程度覚悟していました。医師からは余命3週間を告げられ、 父自身も、自分の最期を受け入れていました。

わたしは、父の前では笑顔を作りながらも、本当に辛く悲しくて、茨城の自宅に帰る長距離列車の中で、よく涙ぐんでいました。

それでも、いざその時が来ると、悲しむより先にやるべきことが押し寄せてきました。

父の葬儀は、父の仕事の関係もあり、かなり大掛かりなものでした。 母は喪主として挨拶をし、わたしはその補佐として、来てくださった方々にお礼を伝え、 滞りなく式が進むよう気を張り続けていました。泣くどころではありませんでした。

その後も、相続や手続きなどに追われ、 四十九日を終えるまでは、気持ちが落ち着くことはありませんでした。

そんな中で、ひとつ印象に残っていることがあります。 すぐ下の妹が、葬儀の間、ずっと泣いていたのです。 それはもう、驚くほど、さめざめと。そんな次妹を見た母の友人が、「本当にお父様が好きだったのね」と同情していました。

その姿を見たとき、わたしは少し不思議な思いに囚われました。 次妹を見て「気楽でいいわね」と思ったのです。悲しみ方は人それぞれなのだと、頭ではわかっているのに、 そのときのわたしは、妹をいたわる気持ちにはなれませんでした。 

次妹は、よく、母のことが好きではないと言っていて、実家に来ることはほとんどありませんでした。父の看病も、最後の入院の時に、ようやく病院に来るようになったのです。だからかもしれません。

わたしには、悲しむよりも先にやるべきことがありました。 母を支え、葬儀をきちんと終え、 目の前の現実をひとつひとつこなしていくこと。 

だから、泣けなかった。 泣きたくても泣けなかったのです。それだけのことだったのかもしれません。だから、なりふり構わず泣ける次妹を羨ましく感じたのでしょう。

時間が経って、少しずつ日常が戻ってきた頃、 ようやく、ふとした瞬間に涙がこぼれるようになりました。 一度涙が出ると、涙が止まらないほど泣きました。まるであのとき流せなかった涙が、 遅れてやってきたような感じでした。

今になって思うのは、 人はそれぞれ、自分のタイミングで悲しむのだということです。その場で泣く人もいれば、 あとから静かに涙を流す人もいるのでしょう。

父を見送ったあの日、 泣けなかった自分、次妹をいたわれなかった自分のことを、 今は少しだけ、やさしく受け止められるようになりました。

福岡の末妹から、父の仏前に送られてきたアレンジメント

父は黄色の花が好きでした。父の口から理由を聞いたことはないですが、長い闘病生活の間、ビタミンカラーのお花は、父に元気を与えてくれたのかなと思っています。

 

今日は、ジミ夫の両親のお墓参りの後、母の面会に行ってきます。ジミ夫の妹に四人目の孫が生まれたようです。

今日も読んでくださり、ありがとうございました。皆さまも、どうぞ良い1日を。

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